「天下の奇祭ヤーヤ祭り」にフル参加してきました!

こんにちは、地域おこし協力隊の山田です。
先日、4年ぶりとなるヤーヤ祭りにフル参加してきました!
記録用に書きますので、とても長くなります。
ご興味のある方はご覧ください!

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ヤーヤ祭りは、尾鷲神社の例大祭の通称名であり、呼び名の由来は、武士が合戦時に名乗りをあげる「ヤーヤー我こそは…」からといわれているそうです。
戦国時代に遡り、当時の庄司・仲氏をはじめとする地侍衆が尾鷲神社の大神等の武運にすがり合戦に大勝利した事を後世まで語り継ごうと、鎌倉時代の頃から執り行われてきた神事(例大祭・大弓の儀など)に期間中を賑わそうと氏子が中心で行う祭事(練り、大名行列、手踊りなど)を取り入れて祭りを行うようになったそうです。
私たちの拠点であるおわせ暮らしサポートセンターは、『南町』の拠点であり、秋に行われた八幡神社例祭に引き続き、『南町』として参加をさせていただきました。
(また南町の法被を着られることが嬉しい。)

 

2月1日深夜0時〜扉開き
雨も降りつつでしたが、濡れた路面に反射する各町の提灯が幻想的でした。神社での神事を終えたら、漁港へ行って垢離かき。町に戻ったのは、深夜1時過ぎ。帰ったら1杯飲むぞ〜!と言ってた数時間前でしたが、すぐに解散。笑
ヤーヤ祭りの始まりです!

 

2月1日19時〜在回り
2番祷屋の北町へ。
初めてみる家来(やらい)が、かっこよい!
北町を先頭に在回り。「チョーサじゃ」の掛け声と、法螺貝の音と、太鼓のリズムに終始わくわくしてました。
1時間くらい?で町へ戻って、みんなで晩餐。
亀の手(鷹の爪とも呼ばれてるらしい)は珍味!
最初見た目で食べれないと思ってましたが、食べ始めると美味しい。

2月2日19時頃〜練り(北町)
私は尾鷲節の練習のため、町にてお留守番!
子供たちはすぐに覚えていくのに、手と足が混ざってもう大変….
合いの手が入ってさらに混乱。こんなんで3日後踊れるのだろうか。と不安しかありませんでしたが、居残りで先生と子供達と、子供のお母さんに教えてもらいながらなんとか1番は覚えることができました。
本当に感謝です。。。。

2月3日19時〜練り(矢浜)
出遅れて車で参加。乗せてくださったお母様ありがとうございます。
「チョウサじゃ」の声と激しく揉み合う練りは、ヤーヤ祭りの一番の見物。真冬でもヤーヤ衆はみんな汗だくで練り合い押し合い。
練りを終えたら、矢の川へ移動して垢離かき。
いくら汗をかいたといえど、極寒の川へダイブは流石に寒そうでした。。。

そのあとは国市神社へ宮上がりをして祷屋へ。
町へ戻ったのは21時半くらい?でした。
そっからまた1杯飲んで、あったまって解散!

 

2月4日9時〜踊りの練習
本番前ラスト練習!合いの手で不安しかありませんでしたが何回も練習しているうちに身体が覚えてきてなんとか踊り切ることができました。
「もう踊り完璧ですね」って嬉しいお言葉もいただいて、一安心。
一旦事務所に戻りましたが、お昼くらいから外で火を焚いて飲んだり楽しそうな声がちらほら聞こえてきて、早く仕事終わらせて参加したーい!とうずうず。。

 

19時〜は練り最終日(北町)
路地の幅が狭くて迫力満点。かっこいー!

尾鷲港へ垢離かき行って、尾鷲神社で宮上がり。
戻ってきてまた町で一杯。これが楽しい。

 

2月6日例大祭、大名行列・道中手踊り
前日とはうって変わって快晴!
子供たちみんな昔ながらのお揃いの衣装で、顔にお化粧もして、堂々としていてすーごくかっこよい!!!
12時ごろから大名行列が通り、神楽に頭を噛んでもらい、薙刀振りを見学させて頂きました。

薙刀振りは、小学生くらいの子供が対象。
何回も練習をして覚えたんだろうなーと思うと、母親のような気持ちにもなりました(笑)

そしていよいよ道中手踊り本番!!!

最初は緊張してましたが、踊っているうちにだんだんと楽しくなってきて、音がちゃんと聞けるようになると合いの手も揃うと気持ちが良い!癖になる!

かっこいい子供たちの後ろで踊らせて頂きましたが、ふと気づいたら後ろにも途中参加の方々が踊っていたり、と、終始楽しく踊らせて頂きました。

「尾鷲節が踊りたくて、愛知から帰ってきました」と聞いた時は、尾鷲の人にとって「尾鷲節」は、それほど特別な踊りなんだと実感。
3時間くらいかけて踊り続け、尾鷲神社へと向かいましたが、あっとゆー間で、終える頃には寂しくも感じました。

何より、慣れない足袋と下駄と、3時間以上も踊り続けた子供達が本当にかっこよくて、八幡神社例祭の時も感じましたが、大人と子供が一体となっていることにすごく感動しました。

宮上がりを終え、一旦町へ戻ってからは小休憩。
子供たちもお母さんたちも、本当にお疲れ様でした。

 

18時〜垢離かき、大弓の儀
尾鷲神社に一度集まり、尾鷲港へ垢離かき。
再び尾鷲神社へと戻り、大弓の儀。
各祷務町の弓射が14メートル先の的に五穀豊穣・大漁満足を願い弓を放つ神事。的の中心に当てることができると、祓いと祝いの両方の意味を込めて伊勢神宮への参拝の風習があるとのこと。

一立ち二矢ずつで七立ち、合計で一人14矢射るという長丁場でしたが、極寒の中、終始真剣な眼差し。
また、矢取りの子供たちも途中でご機嫌斜めになり泣きじゃくりながらも、必死に務め上げていました。

大弓の儀が終わると、いよいよ終盤 お獅子の出御
尾鷲神社の神宝である獅子頭へ大神等にお遷りお出まし戴き、町里の吉凶占いを行う神事だそうです。
「おししじゃ」のかけ声に合わせて、年に一度しか見られないお獅子がお出ましし、氏子たちに練られながら一の鳥居まで行き、お獅子殿に帰る際に右回りで帰れば山の豊作、左回りで帰れば浜の豊漁だと言われ、豊凶を占う神事だと教えて頂きました。昔から林業と漁業どちらもある尾鷲だからこそのお祭りだなと実感しました。

最後は21時頃から当渡し
来年の祷務町(祷屋)へ当を渡す儀式であり、親方立会いの元、盃を交わし行われます。
南町は北町より当を受け、新しく2番祷務町となりました。
全ての儀式を終えて帰る際はバトンタッチをした祷務町がそれぞれの先頭を歩き各町へ。町前で御神酒を配り、終了。

軽くみんなで晩餐をして、飲んで来年のことを話し合ったりしました。

この時間も今日で最後か、と思うと寂しさもありましたが、
また、半年後の八幡神社例祭で。と、笑顔で解散。

全ての儀式に参加をさせて頂き、
尾鷲節を踊りたいという突発的な希望にも快く受け入れてくださり、
最初から最後まで本当に南町の皆様には感謝しかありません。
祭りをただ見るだけ、と、参加するのとでは全然違っていて、
しばらくずるずると余韻を引きずっています…笑
本当に特別な体験をさせて頂きました。

南町の皆様、踊りの先生、子供たち、お母さんたち、
全ての方々に感謝しかありません。ありがとうございました!
それぞれがそれぞれの町に誇りを持っていて、それが本当に素晴らしくて、
子供たちにとってこの記憶は、大人になって外へ出て行ってしまったとしても
「また帰ってきたくなる理由の一つ」として、深く刻まれているんだろうな、と
身を持って体感しました。

4年ぶりのヤーヤ祭り、最高の1週間でした。
来年もまたここで。

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